ホワイトアウト、そしてアンサー


 

――【御前】と呼ばれる少女による回想――

それを追ってみる方に心が傾いたのは、戦略が私に向けて調整されていたからだろう。
まず、相手は私が生徒会室前の廊下に、朝、誰より早く到達することを知っていた。
 
そして、落ちている校章を必ず拾い上げることも。
 
片膝を曲げて腰を落としたとき、目の高さになる消火栓の底部。そこに無造作に貼られたガムテープを見つけて、両者が無関係でないことが確定した。
 
ステップごとに、私以外を排除している。
 
見えない場所を整えておくこと。個人的な拘り事だ。恐怖の根元とも言える。
 
こんな意識からはずれた物を放置すると、それはやがて、一番不都合なときに敵となる。例えるなら、物置に放置された壊れた道具。ツクモガミ。
あるいは忘れられた地下道。
 
私は爪の先を使って、テープの角を引っ掻いた……仕掛けた誰かの思惑通り。
 
執念深く跡を残すことさえあるガムテープの粘着力を予想していたのに、一度めくれ始めると、自重で垂れ下がっていく。マスキングテープの上にガムテープを重ねる仕掛け。
 
何のために?
 
答えが浮かびかけて、けれど私はそれを保留にした。それは微かに甘い果物のような後味を残した。
テープの内側に隠されたメモを、開いていく。
 
犯人を逮捕しろ。
 
鷹野、弥生、舟入、吉島、江波という名前の5人の女性がいる。
一人は犯人。先天的要因で必ず嘘をつく。残り4人は真実を話す。
しかし金のリボンをつけると、誰もが嘘つきになる。ただし青いドレスは金のリボンの効果を無力化する。もちろんその効果は先天的嘘つきには通用しない。
金のリボンをつけているのは3人。
青いドレスはふたり。
犯人を逮捕するため、服装と名前を明らかにしろ。
 
以下は5人の証言。
鷹野「弥生さんは犯人ではありません」
弥生「吉島さんはドレスを着ています」
舟入「吉島さんはリボンを付けています」
吉島「弥生さんが犯人です」
江波「弥生さんはリボンを付けています」
 
ただし、吉島は犯人ではない
 
私は時計を見た。朝練を一番早く始める剣道部が鍵を取りにくるまで、五分くらいだろうか。問題を解き終わるには十分だ。

 
青いドレスに金のリボンの女、弥生。
彼女が先天的嘘つき、犯人だ。
 
けれど……。
逮捕しろとはどういう意味だろう。私は首を傾げる。名前と服装だけで、彼女の罪について判明しているのは、嘘をつくということだけだ。それそのものは、犯罪ではない。
 
逮捕。警察。警察署。
鷹野、舟入、吉島、弥生、江波。
後者は名字だけでなく、地名にも使われる。私は携帯端末で地図を呼び出した。近辺の警察施設をマークする。
 
鷹野橋交番、弥生町交番……。
予想通り、それらは一致した。
 
弥生。パズルの答え。
メモは語りかける。弥生町交番に何かがあると。
 
再び甘味が唇の内側をかすめた。
テープが糊を残して剥離し、煩わされてしまわないような工夫。
この戦略は、私に向けて調整されている。
他の人には難しく、私には達成し易く設えてある。それが思惑。
 
足りない言葉。彼らしい……それさえもヒントになる。
誰が、何をしようとしているか。
なぜ、こんなことをしなければならないか。
 
すべては今日が、その日だから。
 
    ‡  ‡
 
「おはようございます。あれ、今から鍵、取りに行くところだったんですが」
校門付近で呼び止めた剣道部員の一年生が、目を丸くした。
「ここに。では失礼します」
道場のタグが付いた鍵を渡すとすぐ、校舎とは反対方向に歩きだす私に不審を覚えたらしい。
「どこか行くんですか?」
後輩は数歩追いかけてくる。
「ええ、大切な用事ができたのです」
放課後まで待っていられなかった。弥生町交番まで朝のラッシュ時に往復するとなれば、HRには少し遅刻してしまうかもしれない。私は足を急がせた。
 
    ‡  ‡
 
遺失物の見た目。
青い包装に金のリボン。
落とした日時。3月14日。
けれど遺失物届の記入欄には、一つ埋まらない箇所がある。落とした場所。
出題者は拾ったと嘘をついて届けた。
私は実際には落としていない。
フィクションの現場はどこがふさわしいだろう。
 
初めから、仕組み手の思考を追跡する。
校章は私以外に拾われるかもしれない。
ガムテープのメモは私以外に気づかれるかもしれない。
パズルは私以外にも解けるだろう。
では、私だけが限定的に使える最後の鍵は?
私と仕組み手と弥生町が結びつける思い出は、一カ所だけ存在した。あまりに古い記憶を共有していることに、胸が優しく傷む。
 
川辺の記憶。
「いつか、一緒に遊べなくなるかもしれないわ」
なぜ、小学生の私は、あんなことを言ったのだろう。別離は遠い暗雲で、幼い二人には背伸びしても見渡せない、純粋な予感だった。魔述と秘密がどのような縁であっても分断する青白い刃だと、私は知らなかった。
 
「ここに何か置いておくことにしようか」
 
彼は屈託なく、そう言った。
私が魔述の片鱗も持たなかったように、あの日の彼は、彼自身を痛めつけるジンクスの檻を意識していなかった。やがて檻の内と外に千の幻想の棘を成長させていく忌まわしい学習を、どんな未来が――いえ、今は過去だけれど――強いたのだろう。
 
「時間は別々だけど、取りに来れるよ」
気持ちがつながる限り、離れ離れではない。そう。だけど……。
「他の人が持っていってしまうかもしれないわ」
彼が用意する何かを失いたくない一心で、私は抗弁する。
瞬間水鳥が飛び立ち、川面が初夏の光と化して砕けた。
木陰に憩う頬を掠めた熱が、去ろうとしない。
「なら、誰にも拾われないようなやり方で」
そう言った彼の顔に、果たして同じ光の作用は及んだのだろうか。
 
ただ確実に、あの瞬間、思考の種子は萌芽した。
お互いが他人のように関わらず、けれど誰にも邪魔されない方法。
 
今、交番を出た私の鞄の中には、青い包装紙に金のリボンを飾った、宝石粒のようなトリュフが収まっている。
 
    ‡  ‡
 
学校の落とし物ノートは警察よりもっと簡便で、拾得者名と落とし主の名前は、ボールペンで区切った表に隣り合って並ぶことになる。
翌日の昼、私はノートを確認した。
品名。校章。取得。御手座巴。
さらに名前が書き加えてある。
遺失。久世正宗。
彼がジンクスを欺くためにした、真剣な工夫を思う。
 
ーー僕が行動したなら、悪い結果が関わった人に及んでしまう。
 
マサムネが信じる限り、それは現実だ。けれどいつか、そんな虚構を、私が砕くことができたなら。
教室に戻ると、ただホワイトデーのお返しのために複雑なたくらみを仕掛けた幼なじみは、自席で襟元に校章を取り付けていた。
 
彼は何も言わない。3月14日。私たちの間に何があったかは、二種類の書類に並ぶ名前だけが記録していればいい。そう、透徹したした眼差しで宣言するように。