僕たちはチでチを洗う

サイファーの実に人外らしい、場違いな行動にはいつも驚かされるが、その日もそうだった。
「おじゃまします」と僕の部屋を訪れた【御前】に、
「鞄の中を検めさせてもらおう」
などと、生活指導の教諭のような台詞を口にしたのだ。
「なぜ」
非の打ち所のない優等生は、学校でも受けたことのない持ち物検査に抵抗の意を示す。
「簡単なことだ。普段時間に正確な君が3分の遅刻。そして鞄の片側だけが、バランス悪く膨らんでいる」
サイファーが示したのは、【御前】の学校指定鞄。革製のビジネスバッグをレトロなデザインにして、エンブレムをあしらった外見をしている。
「教科書やノートのためではない。几帳面な君は偏りができないよう収めるはずだ。つまり膨らみの原因は、誰かから受け取ったもの。それを急いで仕舞った結果だね」
誰か、のあたりで嘘の苦手な幼なじみは唇を噛む。
「そのことと遅刻を併せれば、結論は簡単だ。コンビニでお菓子を買ってきたね」
金無垢の瞳と、黒曜石の瞳は、彼我の空間に何らかの情報を戦いあわせた。
「……いいわ。一つだけよ。マサムネとわけてね」
【御前】はブロック状のチョコレートが複数収まっている箱を取り出した。
恭しく受け取るサイファーは、
「智慧の勝利だ。褒めたまえ正宗くん」
と自慢するけれど、僕にはカツアゲにしか見えない。
 
「巴くんが糖分補給をするということは、ややこしい話をするのだろう?」
長方形のローテーブルの長辺に、正座した【御前】と体育座りのサイファーが向かい合う。僕は短辺に腰を落ち着けて、冬日の陰りが生み出す曖昧な現実を、幼なじみが言語化するのを待った。
「首、と聞いてどこをイメージするかしら」
「マフラーを巻く部分――」
と自分の喉仏を示して、僕はもう一つに思い当たった。
「頭頂部と鎖骨の間の部分も、首だな」
「そう。『首実検』などはそっちの意味ね」
武士が、討ち取った敵の識別をする作業・首実検。前者を持ち込まれては、ドラム型の肉で本人特定をしろという難題になってしまう。
「後者の意味の首が、昨日この近くの藪で見つかったのは知ってる?」
知らない。そもそも廃墟扱いされている僕の家は、近所づきあい自体が存在していない。
「この家が背後にしている山の、西の方で騒動があったようだけど、それかな」
実験動物がいないと暇になるイデアは、心当たりがあるらしい。
「そうね。普段人が立ち入らない場所なのだけど、数ヶ月に一回、藪の奥の小屋に道具を取りに行く人がいて、被害者を発見した。死後間もないため、『首実検』はスムーズに済んだようね」
「少し引っかかったのだけど、首という表現に何か特殊な意味を込めているのか」
僕の質問に、彼女は深く首肯した。
「正確には、発見された被害者の部位は後者から前者を除いた部分。頭頂から顎の下までだった。その要素が、大切な気がするの」
『首』から『首』を取り除く理由……。
 
【御前】はサイファーにあげたブロック状のチョコレートを、全て皿に取り出した。
「さらに頭部は、転がらないためにレンガを積んだ台座の上に載せられていたわ」
白い指で組み上げたのは、チョコレート製のロの字型。
中央のくぼみに収まるように、サイファーが、小さい頃僕がどこかでなくしたビー玉を設置した。
「こんな感じかな」
解りやすくなったけれど、今後このチョコレートが食べづらくもなった。
「犯人を便宜上『首狩り』と呼びましょうか。『首狩り』は、被害者の頭にリボンを、カチューシャのように巻いた」
「本人の持ち物ではない?」
「そうね。被害者は男性だもの」
「リボンは小さい女の子の特権ではないだろう?」
リボンを襟もとにつけたイデアが混ぜ返す。
「大きなリボンをつけて通勤する人がいれば、多少は話題になったはずよ」
「装飾は、『首狩り』が見る者に精神的ショックを与えようとしたのかな」
「残念ながらそれは考えづらい。発見は偶然だったもの」
なるほど。夜は往来が途絶えるが、昼は賑やかな地域は沢山ある。人に見せるためならそういう場所を選ぶはずだ。
「じゃあ、被害者を侮辱するため?」
「そうかもしれない。ただ、この場合気になるのは、全身があった方がより多くの辱めが可能なはずということよ」
「リボンどころかドレスを着せたり」
「そう。首から下はどこに持ち去ったのかしら。何のために」
【御前】は思考に沈む。途中から退屈していたイデアは、首役を演じていたビー玉を皿の端に移動させて、華奢な人差し指ではじいた。
積み上げたチョコレートの一角が崩れ、一つが僕の目に、もう一つが【御前】の前に落ちる。
ビー玉の二投目は放物線を描いてチョコの台を飛び越え、皿に着地するなり逆回転の作用で手前に転がり、ブロックの一つをサイファーに届けた。
思惑の異なる三人は同期してそれを口に運び、カカオの味が舌から去る短い時間だけを共通の体験とした。
 
「ところで、【御前】はどうやってここまで深く情報収集ができたんだ?」
「悪いことをして」
それなら、仕方ない。
「とりあえず、現場が近いので気をつけて」
窓の外の夕焼けが、立ち上がった【御前】の輪郭を不吉に縁取る。
「私はもう少し調べてみるわ」
「他に行方不明者がいるだろう。複数」
辞去しかけた【御前】を、サイファーの言葉が引き留めた。黒髪の少女の真っ直ぐに伸びた影を浴びて、イデアは昏く眩い。
「行方不明者? 類似の事件よりそっちを探した方がいいと言うの?」
「同様の事件は見つからないよ。時間の無駄だ」
「殺人は続かない、と言いたいわけではなさそうね」
右胸に流れるつややかな髪の一房を、幣魔述師は指に絡める。
「【御前】――」
一人では戦わないでほしい。
僕は最後まで言えなかった。僕の力では手助けできない。
「一人で戦うな」
僕が言いあぐねている間に、サイファーがその言葉を先んじた。けれど、僕とは込めた意味が違う気がした。
「大丈夫。私も学んだわ」
デストルドーについて、彼女の意識に根深く食い込んだ甘い死への憧れについて、そうであると信じたい。
しかし、誰が死に誰が生きるか。セレクションに曝されたとき、彼女が他人を犠牲にしてでも我が身を守るとは思えないのだ。
 
 
 
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首塚模型に使われたチョコレートが無くなると、イデアは内ポケットに手を差し込んだ。
ティーカップのかすかな湯気の名残を、ぼんやりと目で追っていた僕は、続く言葉でテーブルを突き飛ばしそうになった。
「ポッキーゲームをしよう」
イデアのトップに立つ人外は、取り出した菓子袋を示す。
「どこで憶えてくるんだ。そんな俗っぽいこと」
イデアは金無垢の瞳を半ば閉じて、僕の視線と思考を瞬時に辿った。
「確かに巴くんが同じことをしたら、つまり胸のポケットに細長いお菓子を縦に入れたら、プレッツェルはただでは済まなかった。肉体の圧力で砕けただろう。それで、誰が、俗なのかな」
「被害妄想だ」
「人間は、意識が統治する部分は取り繕えるが、無意識の領域では不可能だ。僕にそれを読まれないようにすることもね」
僕は『それ』に思い当って右手を引いた。反射的なこの行動こそが、よりサイファーの正しさを裏付ける。
数分前まで、そこに【御前】が座っていた。
お菓子が取り出されたことで彼女を想起すると同時に、僕はその近くに右腕を置いた。無意識に。
サイファーは刀の鞘を払うような真剣さで、一本を抜き出した。
「僕がしたいだけではない。君の気付きのためでもある。だから僕が先攻だ」
「先攻は後攻と何が違うんだ」
ポッキーゲームとは、細長いお菓子の両端から二人のプレーヤーが食べていき、その後の展開に期待をする、ゲームとは名ばかりの恋愛行動だと記憶している。
サイファーにも僕にも、互いにそんな甘い幻想を抱く余地はない――。
――はずだ。
「先攻はね……」
イデアは先端を色素の薄い唇に挟む。俯く仕草で長い睫が真珠色の膚に影を落とした。
僅かな間、僕は呼吸を忘れた。
いつも予想外を紡ぎ出す唇に、融けたチョコレートが滲み、
「取っ手を食べなくていいのだよ」
「うん?」
「察しが悪いね」
察しの問題ではない。
「先攻はまず取っ手を持って逆側を咥える。後攻は取っ手から食べ始める。つまり先攻はほぼ確実に取っ手を食べなくて良い」
熱心に展開された理屈に目眩がした。
「取っ手にはチョコレートがかかっていないので僕は嫌いだ」
「そんなにチョコが好きなら板チョコを食べればいいだろ」
「チョコレートがかかっている限りにおいては、プレッツェルを僕は食べたいのだ」
なんて我儘なんだ。
「考えてみてほしい」
滑らかに喋る障害になっていたポッキーを唇から手に移動させて、人外は続けた。
「キノコの形やタケノコの形をしたお菓子がある。これらはポッキーと同じく焼き菓子とチョコレートとの組み合わせだが、焼き菓子が露出している部分があるよね」
「チョコを直接持つと、体温で溶けて手が汚れるからな」
「では、現実のキノコとタケノコにおいて、その部分はどういう扱いをされている?」
椎茸の軸は取り除く。タケノコは穂先が美味とされ、成長して硬い根元部分は切除する。
僕は目を見張った。
「そうか、通常食べないんだ――!」
サイファーは我が威を得たりと頷く。
「理解したようだね。非食部はチョコレートでコーティングしないと言うルールが存在する。ゆえに論理的に考えて、僕が取っ手を食べたくないのは妥当なのだ」
なるほど。
「なに人に食べさせようとしてるんだ」
菓子箱を奪われたイデアが抗議の声を上げる。
「食べ残しを押しつけるのは感心しないな」
「勿論だ。だが、同時に食べれば食べ残しではないだろう? そのためのポッキーゲームだ」
「サイファー」
理屈に囚われて浅はかになっているイデアに対し、込み上げてくるのは憐憫だ。
「ポッキーゲームの結末は、キ……どういういう状態か忘れていないか?」
良くて間接、悪くて直接だ。
「結末? 勝敗ではなくて? 僕は先手を貰った時点で目的を達成しているけれど」
そこまで言って、サイファーは後頭部で結った白金の髪の、シニヨンの先端を逆立てた。
今更気づいたようだ。
「ダメだ、そういうのは」
僕に触れられるときに燃え上がる、目の眩むような不服の火。
肩と手で激しい拒否反応が起きるなら、唇と唇ではどうなるだろう。
異常な精神の器が、不幸なことに美しい形をしているイデアは、
「君は悪辣にも、取っ手以外の部分も食べ進めるつもりだね」
論理破綻するほど取っ手が嫌なのか。
「そうじゃない。やってみるか?」
「実験か? 僕は初めから望むところだ」
また、売り言葉に買い言葉だ。
金色のイデアが、先ほどの一本を咥えなおした。人外の嫌う部分を僕が口にするとき、二人の距離は13cmを下回る。
「落ち着かないな。目を瞑りたまえ」
「君が目を逸らせばいいだろ。僕は逆向きに逸らす」
チョコレートにサイファーの、花のような香(こう)のような薫りが混じる。
心拍が上がるのは、イデアの僅かに開いた唇のせいではなく、僕がそれに気付きかけているからに違いない。
「……そうか」
僕はサイファーの口からお菓子を抜き出した。
「こういうことだな」
チョコレート・コーティングの部分を食べ、残りの部分に包装紙の切れ端で作ったリボンを巻く。
「これが首だ」
さらに新しい一本を取りだしてサイファーに向けると、人外は素直に取っ手の直前まで咬み取った。
取っ手は僕が口にする。
「これが行方不明」
「そうだ。ご名答」
金無垢の虹彩が僕を映し、かすかに笑みを湛えている。
「なんとか、間に合いそうだね」
 
 
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『首狩り』は、脳を食べるのが好きだった。舌でとろけるほど甘い、コレステロール豊富な脳を延髄から掻き出すのは至福だ。
砂糖の味がしないことを除けば、ガナッシュ・チョコレートに似ている。
けれど問題があった。
人間は頭より躰の方が大きく処分しづらい。発見されると騒ぎになる。
だから、戦略を立てた。いや、戦略と呼べないほど簡単なルールだ。
それを遵守するだけで、飛躍的に脳にありつく回数が増える。
なぜなら行方不明者は多く、足どりを追う者は少ない。殺人者にかかる追っ手よりずっと少ない。
 
前回は折角の頭が発見されて失敗したから、『首狩り』は事をより慎重に運んだつもりだった。
慎重とは過度な論理性に他ならない。
そして論的であればあるほど、行動は他者に予想されやすくなる。
 
素晴らしく賢い敵対者は、予想を超えて予言の域で、『首狩り』に迫った。
獲物を物陰に引き摺って行く途中、彼は夜を圧倒するほど黒く燦めく流れを見た。
 
少女の長い髪だと気付く前に『首狩り』は地面を舐める。不快な砂利の味の向こうに、優れた脳の美味なるを想像した。
ターゲットを変更しよう。ルールのせいで、苦労して生きたまま運んできた獲物を、忘れるほどの魅惑。
『首狩り』に攻撃ができたことから魔述師だろうが、彼は負ける気はしなかった。
クマの肝臓を食べれば肝臓の機能が上がり、鳥の皮を煮出したスープを飲めば肌つやが良くなるのだから、脳を食べている『首狩り』は知恵を増強されている。
「弁明は、ある?」
真冬の寒さではなく自らの冷気で、少女の声は凍てついている。
「あなたの躰で、強化したい部位はありませんか」
『首狩り』はまずは興味を引きつつ下手(したて)に出た。
「そうね」
うまく、乗ってきた。
「心臓が思い通りにならないことがある。私は嘘が苦手だわ」
「では、心臓だけでなく舌も召し上がるといいでしょう」
「食べれば、人を欺けるかしら」
『首狩り』は迷う。このまま油断させて食べてしまおうか。それとも、本当に舌と心臓で手懐けて、共犯になるのも素敵だ。
彼女の肢体が描くラインは、躰に興味の無い『首狩り』をして、魅力的である。それに優秀な脳までついてくるなんて、奇跡のような個体。
「勿論ですよ。舌は舌の素材でできている。心臓は心臓の素材でできている。不足を補いたいならその物を摂るのが一番です」
「そうね」
魔述師は片足を持ち上げた。理論武装が蝶の羽のように開く。
「それ、プラシーボよ」
 
 
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『首狩り』は『首狩り』が光に溶出し、塵となることで命を終えたのを見た。
けれど敵は、今無防備である。獲物の息を確かめるのに集中して、警戒を怠っている。
『首狩り』に攻撃ができたことから魔述師だろうが、彼女は負ける気はしなかった。
クマの肝臓を食べれば肝臓の機能が上がり、鳥の皮を煮出したスープを飲めば肌つやが良くなるのだから、躰を食べている『首狩り』は全身を増強されている。
 
「君”たち”はそうして、自分の嫌いな部分を相棒に与えることで、一体の人間をシェアしていた。食べ残せば騒ぎになるけど、全部無くなれば失踪扱いだ」
少年の声。誰と振り向く前に、強化された肉体へ、黒く鋭い刃が侵入する。
「躰を食べる方の『首狩り』――君は約束を違えて一人で食事をしてしまったな。その詫びに、頭を食べる方がやりやすいよう脳幹直前まで首を切り、食べ残しが贈り物に見えるようリボンでラッピングした」
右の鎖骨から入った黒剣は、為す術無く左脇腹へ抜けていく。
「けれど頭喰いより早く人目についてしまったのが運の尽きだ」
夜の死角へ、直線的に血しぶきが散った。下生えが艶やかにコーティングされる。
「マサムネ!」
会敵時も表情一つ変えなかった少女が、ばつの悪そうな顔をした。
 
 
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「サイファーが言っていた『一人で戦うな』って、こうこいう意味だったのね」
「僕もさっき知ったよ」
「言い訳になるけれど……既に襲われている人がいて……」
『僕を呼べばいい』と言えない人間に、責める資格はない。
公衆電話から救急車を呼んで、僕たちは夜道を歩いた。
「コンビニに寄っていい?」
「何か買うの?」
僕は嘘をつこうか迷った。【御前】にと言うより自分に対してだ。
「サイファーにお菓子を買おうと、思って。随分ヒントを出してくれたようだから」
イデアにしては甘い出題だった。それに助けられたなどと、できれば認めたくはないけれど。
「なら、これをあげて」
幼なじみは、相変わらず偏った膨らみ方をした鞄を開いた。僕に中がよく見えるように。
教科書やノートの他に、お菓子の箱ともう一つ。派手なリボンをかけた包みがある。
「放課後、隣の組の人にこれを貰った。返そうとしたけど受け取ってもらえなくて、明日もう一度話そうと鞄に入れたのだけど」
人目を引く偏りができてしまった。
「なんとなくあなたに知られたくなかったの。遅刻しそうだけど、お菓子を買って隣に詰めて、目立たないようしたつもりだった」
「サイファーが見抜けたのは一部分だったわけか」
【御前】はかぶりを振った。
「お菓子が囮だと理解しているから、一部を渡すよう交渉できるのよ。揺さぶられながら、『嘘が下手なのだから秘密は持つな』と言われているようだったわ」
やや買いかぶりだと思う。
「もう詰め物は要らないから、サイファーにあげて」
鞄から次々に出てきたのはポッキーだった。
「取っ手は僕たちで食べてしまったほうが、喜ぶよ」
「取っ手? なぜ?」
それは、サイファーが大嫌いな僕よりも、取っ手のことが嫌いだからだ。